朝日連峰の山脈に源を発するこの峡谷の流れは、
長い年月を刻みながら侵食を続け、深いた谷をつく
りあげてきました。
昭和29年、当時の山形県知事安孫子藤吉氏がここ
を遊び柳川から小寺に至る巨岩絶壁の渓谷を、漢
詩の一節から引用して”神通峡”と命名されました。
この渓谷は昭和九年頃、朝日連峰の山すそに群生
するブナ材の搬出や造林事業などの国有林野経営
のため、森林軌道として開削されたのが始まりで、
その後林野事業の廃止により、昭和四十年にその
軌道は廃線となりました。その後を受けて昭和五十
四年から、かってトロッコが走った軌道跡を遊歩道
及び林道として町が整備に務め、昭和六十三年に
全線が完成しました。
原始の自然が息づく神通峡は、東北の黒部峡谷と
も称され、四季折々の変化に富んだ自然が折りな
す景観は、訪れる人たちを神秘の境地に誘ってく
れます。
この神通峡えおよりイメージを高め、町内外に周知
して、観光地としての開発を図る為に、神通峡不動
明王建立事業を企画し、実施したものです。
不動明王につきましては、ご存知のとおり「お不動
さま」の名で親しまれ、常に行者に支え、やさいい
方法では救済できない相手にも仏心をもたらし、降
魔(悪魔を降伏させること)にも大きな力を発揮する
といわれ、神通峡を訪れる人たちに親しみと仏の
恵みを与え、ご繁栄あらんことを乞い願い、神通峡
不動明王を建立した次第です。
神通峡不動明王半迦像
(黒御影石 腺彫り、高さ六尺 幅三尺 厚さ三寸)
文:大江町観光協会
神通峡不動明王建立実行委員会
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